ここで綴る内容は、洪門の系譜を受け継ぎ、大哥(兄貴)達の教えから得た話を基に解説しております。

第六章「そして、現在の新洪門へ」

2024年5月2日/本多利也 記

<近代史と洪門の繋がり>

ここまでは歴史的な話をしたが、ここからは近代歴史と洪門の繋がり。
また、新洪門へと進化した流れを簡潔に話そう。


<明末~清朝>

民族、満州人の清王朝を打倒し、漢民族明王朝を再興した「反清復明」または「駆逐腱組」。明末、洪門の大立者に鄭成功(延平王)が活躍。
福建アモイを拠点として清軍と戦い、その後台湾に拠点を移しオランダを追放し台南に鄭王朝を打ち立てますが、洪門史にも台湾「金台山」が初代山主として名を残す。
その他では総会長「陳近南大哥」がいる。


<辛亥革命~中華民国初期>

孫文を中心として、1894年に設立された革命政治組織の興中会と洪門の三合会及び哥老会が三位一体となって「興演会」を結成。
これが1911年の辛亥革命の原動力となる。
当時、日本人と洪門との関係は非常に親密で、特に宮崎滔天、黒龍会の内田良平、青年将校の精神的指導者の北一輝、洪門研究第一人者の平山周りが活躍。
孫文は辛亥革命以前にハワイ・ホノルルにあった洪門「到公堂」に入門。
入門時から「紅棍」と呼ばれる幹部であり、孫文大哥と呼ばれる。
因みに米国到公堂の歴史は海外の堂としては最も古く、1882年にサンフランシスコで創立された洪順堂が前身。
到公堂はその後、五洲到公堂そして五洲総会と名称を変え現在に至る。
その他では、海南島出身で上海の大実業家チャーリー宋(宋三姉妹の父親)や三洲田起義の鄭士良大哥、武昌蜂起の黎元洪大哥がいる。


<列強侵出~中華人民共和国>

洪門の組織は、国民党の情報・地下工作で大いに活躍し、その功績から洪門兄弟は国民党政府や踏会の要職に就いていたが、国共内戦により国民党が敗北した結果、1949年中華民国の台湾への敗走と共に多くの洪門踏山堂が大陸から台湾へと拠点を移す。
この洪門兄弟の集団移住により台湾の山堂の数は一気に百山を超える。
また大陸を離れた他の山堂や洪門の兄弟連は、チャイナタウンを拠点として洪門の兄弟が勢力をもつ、フィリピンやタイ、マレーシア、インドネシア、シンガポール、オーストラリア、日本等に、欧米では、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、オランダ等に拡散していくこととなる。
特に米国ではサンフランシスコの到公堂が絶大な力を有していたことから、ここを頼って米国に移住した兄弟も多かった。
因みに中国の民主党「公党」は、この到公堂の血脈上にあたる。


<1949年~>

国民党が台湾に拠点を構えたと同時に、洪門の力を熟知し恐れていた青幇の蒋介石やCC団の陳立夫によって洪門の表向きの活動は非合法化。
これによって洪門の開山堂は、約40年間地下に潜ることに。
しかし、現実的には洪門兄弟の多くは政府機関や民間・企業で活躍。
特に軍、調査局、警察等の政府機関での洪門兄弟の結束力や影響力には非常に強いものがあり、一部の洪門兄弟は県道組織へと変貌していく。
こうした中で、洪門兄弟同士の関係は維持されてきた。


<1978年~>

中華人民共和国の最高指導者を務めた政治家・鄧小平。
1978年12月に開催された中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で「改革開放」提出し、毛沢東時代の政策を転換、中国国内体制の改革および対外開放政策の終わりを告げ、現代の中華人民共和国の路線を築く。
この活動を裏で支援したのも洪門であった。


<1987年~>

50余の洪門山堂が合併し、南華山の崔震權山主を理事長に南華山の劉沛勛大哥を執行長とする「中華民国社会事業建設促進会」を設立。
従来の秘密結社的な装いの他に合法的に表舞台にも登場し始めることとなる。
また、1998年には南華山の劉沛動山主の奔走により、世界各地の洪門の兄弟約5000名が台湾政府の承認のもと、台北市の陽明山に集結して「第二回世界洪門総会」が大々的に開催され、劉沛助大哥は世界洪門総会の執行長に就任されることとなる。
※「第一回世界洪門総会」はハワイにて開催。


<2003年~>

台湾最大の山堂「南華山」を母体として、劉沛動山主を理事長とする会員数約6万人の「國際洪門中華民国総会」が台湾政府の正式認可のもと、人道保護と社会事業を行う社団法人として設立される。


<2006年~>

アジアの安定と世界平和への貢献 (龍義堂・日本國本部堂)へ向けて始動。
日本國本部堂設立の伏線は2006年11月5日の南華山総会にて、早稲田大学に留学経験をもつ蔡龍神大哥を堂主とした、台日友好促進を旗印とする洪門南華山「龍義堂」が創設した時に始まる。
それは、洪門南華山が新たに目指す方向性として、従来の漢民族主体の愛国団体的な殻から脱皮し「アジアの安定と世界平和への貢献」を目標とし、約5,600万人といわれている世界の洪門兄弟と強く連帯を取りながら、台湾・日本を核としたアジア平和貢献への道を模索しながら構築していこうとする画期的な試みである。


<2007年~>

龍義堂創立メンバーである鈴木勝夫大哥が、尊敬する龍神堂主の意を受け、1月15日千葉県印西市に於いて龍義堂日本國本部堂を開堂(設立)。
また、翌2008年5月には劉沛動南華山山主(國際洪門中華民国総会理事長)、蔡龍神總堂主(國際洪門中華民国総会副理事長)を始め、多数の御来賓及び兄弟達をお招きして、香堂式を無事執り行い、現在洪門南華山の一堂「龍義堂日本國本部堂」として始動する。


<2009年~>

南華山総会に於いて蔡龍神総堂主は南華山副山主に就任され、また2010年1月9日には國際洪門中華総会理事長に選出。
それに伴い、蔡龍神大哥一門(龍義堂一門)の強化を図るべく、現在進行形で国内外の洪門兄弟組織の運営がされる。
現在は代替わりとなり、二代目南華山龍義堂堂主に施文経大哥。
國際洪門台北首都会会長に劉慶鐘大哥が選ばれる。


<2010年~>

2月10日日本、山下利幸副堂主が同年11月の南華山総会にて東京豹堂設立を鈴木勝夫堂主から承認。
また、日本國総堂が新設され、日本國本部堂は本部堂と改称して存続し、二代目には工藤昭彦副堂主が11月就任。
龍義堂日本國総堂・総堂主_鈴木勝夫大哥
龍義堂日本國總堂本部堂・堂主_工藤昭彦大哥
龍義堂日本國總堂東京豹堂・堂主_山下利幸大哥


<2011年~>

10月10日に辛亥革命100周年を一つの転機と考え、南華山副山主・蔡龍神大哥は南華山及び国際洪門中華民国総会から離れ、「新しい洪門」をとなる「中国新洪門黨」設立。
そこから日本における活動は、鈴木勝夫大哥の組織する「日本國新洪門總會」と改め、そこを中心とし、各支部へと構成されていく。


<2024年>

蔡龍神大哥及び鈴木勝夫大哥より開山を許され、2024年1月30日に「日本國新洪門總會・義恊會」として東京に本部を設置することとなる。
日本國新洪門總會義恊會・会長_中村忠直大哥
日本國新洪門總會義恊會・副会長_本多利也大哥

目次第五章「祭壇に祭られる鄭成功」第七章「洪門の規則」